深海で蓄えられた、越前カニが放つ濃密な甘さとかにみそ酒に酔う
朝1030。
越前海岸に建つその店は、開店と同時に満席になった。
「えちぜん」。
越前がにを食べさせてくれる店である。
車を見ると、岐阜や大阪、京都のナンバーが見える
どうやら全国から蟹を求めて集まってきたお客さんで、賑わう店なのであった。
黄色いタグが付く「越前がに」は、福井県の漁港に水揚げされる雄のズワイガニを指す。
ズワイガニは、山陰では『松葉ガニ』、京都府では「間人ガニ」、石川県では『加能ガニ』などと呼ばれ、水揚げされる漁港によってブランド名が付けてられ、出荷される。
「越前がに」は、日本で最も古くからカニ漁が始まったとされ、好漁場に恵まれていることから、甘くひきしまった肉質で、ズワイガニの中でも最高級品種として知られている。
その「越前がに」を手軽にいただくことができるのが、「えちぜん」なのである。
店頭にはいけすが並んでいて、多くの蟹がうごめいている。
店内で注文し、再び店外に出ると、蟹の目利きである宮地由佳さんが「これがいいでしょ」と、二杯のカニを水槽から取り出してくれた。
蟹を地面に置くと、必死に逃げようと動き出す。
「不思議なことに、蟹も貝も、海の方へと動き出すんです」と、宮地さんが笑う。
店内に入ると30人近いお客さんがテーブルを囲みながらカニを食べている。
刺し身やのどぐろ、貝類などもあるのだが、全員がカニと格闘している。
壮絶な光景であった。
さあ蟹を食べよう。
まずは茹で蟹である。
蟹が運ばれた。
赤く染まった蟹が湯気を立てながら、こちらを睨んでいる。
その姿は、「大至急食べてね」と、訴えかけているようでもあり、「お前に私を食べる資格があるのかい」と、問われているようでもあった。
そんな蟹の迫力に負けずに脚をもぎ取り、肉を取り出す。
殻からするりと取れた脚肉がたくましい。
ああ、なんたること。
味が濃い。
甘さが濃密で、舌を撃つ。
冷たく深い海の中で蓄えてきた養分の甘さが、舌を包む。
都会で食べる蟹とは、まったく違う味の密度がある。
やはり蟹は、旅をさせてはいけない。
無我夢中で脚肉をせり出し、無言で笑いながら食べるが、ここで一旦冷静になろう。
目の前にはカニミソがある。
こいつをすくって、その複雑なコクに目を細め、すかさず燗酒で迎え撃つ。
だがそれだけではいけない。
ここに脚肉を入れてしまうのだな。
惜しげもなく入れて、よく混ぜちゃうのだな。
しかるのち、薄茶なった蟹の身を食べる。
ああこれはいけません。
カニミソのコクと身の甘みが渾然となって、迫ってくる。
都会で食べると、身がミソの強さに負けてしまうが、これはない。
身とミソが互いを称え合いながら高みに登っていくではないか。
半ば陶然となりながら食べ終えた。
だがまだ終わりではな。
目の前の残ったかにみそに燗酒を注いちゃうのだな。
とくとくとく。
カニミソ酒である。
酒のうまみが加わって、カニミソに色気が出た。
少し味が丸くなって、こちらを誘惑しようとする。
できればこのまま誘惑に負け、陶酔しきってまどろみたい。
だが我々にはまだ、カニしゃぶが待っているのだ。
海の幸食処えちぜん
福井県丹生郡越前町小樟3⁻81
(株)味の手帖 取締役編集顧問 タベアルキスト。年間700軒ほど国内外を問わず外食し、雑誌、テレビ、ラジオなどで食情報を発信。そのほか虎ノ門横丁プロデュース、食文化講師など実施。日本ガストロノミー協会副会長、日本食文化会議理事。最新刊は「どんな肉でもうまくする。サカエヤ新保吉伸の真実」世界文化社刊。
7年前に小浜地区の仕事を通じて福井の食材の豊かさに惚れこみ、今回の福井各地の美味しいを探す旅のきっかけとなった。