うま味の津波が喉に流れ込む カニしゃぶの誘惑
次に我々の前に現れたのは、殻をむいた生の蟹である。
薄っすらと白く色づいた半透明の身が、冷たい水の中に生息する蟹の生態をおもわせる。
生のミソも生々しい、
そうこれからこの蟹を、しゃぶしゃぶにするのであった。
傍らでふつふつと沸き立つ鍋の出汁の中に、脚先を持って静かに沈める。
5つ数えたら、ゆっくりと上げる。
すると蟹の身は白く変わり、表面が松の葉のように、何本もの繊維が立ち上がる。
もうたまらない。
カヲを天に向け、何もつけずにその身を口に落とす。
ああ。
一瞬で力が抜けた。
甘いエキスが舌の上にしたたり落ちる。
暗く深い日本海が湛えた豊饒が、一気に爆発する。
甘いうず潮が舌を翻弄し、うま味の津波が喉に流れ込む。
なんとみずみずしいのか。
なんと命の喜びに満ちているのか。
甘いといっても、微塵のくどさもない。
口を圧倒的な甘美で満たしながら、さらりと消えていく。
我々はもう酒を飲むのも忘れ、一心不乱に蟹しゃぶを食べた。
さあカニ脚と爪を食べたら、今度はミソである。
七輪に甲羅を載せて温める、
湯気が上がって顔を包む。
いい香りが立ってきた、匙で救って食べよう。
とろり。
ああ。
甘みか顔を出す。
香りが立ち上がる。
脂のコクが、静かに膨らみ始める。
その官能が喉に落ちる前に、燗酒をすする。
すると酒の温度でまた味わいが膨らんでくる。
今度はこいつをご飯にかけてやると、どうだろう。
ご飯の甘味と出会って、箸が止まらなくなる。
笑いが止まらないが、そこで一計、蟹の甲羅に酒を少しだけ注ぎ、ご飯を打ち込んでみた。
これは危険である。
良い子はけっして真似してはいけません。
ご飯とカニ味噌と酒が渾然一体となりながら、攻めてくる。
更にはカニ雑炊を作ろう。
先程の鍋に蟹の甲羅などを入れてひと煮立ちさせる。
蟹の味が出てきたところで、ご飯を入れ、しばらく米にうま味を吸わせてから、溶き卵で閉じる。
蟹のうま味がご飯に溶け込んで、深く、優しくなって心を包む
ああ。なんと幸せなのだろう。
咄嗟に今度は家族を連れてきたいと思った。
そう。美味しいものを食べて愛する人たちのことを思い浮かべるのは、その食事が心に届いた証なのである。
海の幸食処えちぜん
福井県丹生郡越前町小樟3⁻81
(株)味の手帖 取締役編集顧問 タベアルキスト。年間700軒ほど国内外を問わず外食し、雑誌、テレビ、ラジオなどで食情報を発信。そのほか虎ノ門横丁プロデュース、食文化講師など実施。日本ガストロノミー協会副会長、日本食文化会議理事。最新刊は「どんな肉でもうまくする。サカエヤ新保吉伸の真実」世界文化社刊。
7年前に小浜地区の仕事を通じて福井の食材の豊かさに惚れこみ、今回の福井各地の美味しいを探す旅のきっかけとなった。