実はスィーツ王国福井Vol.1
その安倍川餅は、自分が食べてきた安倍川餅史上、群を抜いていた。
店はさりげない佇まいで、知らなければ、通り過ぎてしまうだろう。
小さな店に入ると、畳敷きの小さい間が待ち構えていた。
誰もいない。
壁には、「あべ川料金表」が張り出されており、「七ケ300円、十二ケ500円、二十四ケ1000円 店主敬白」と書かれていた。
できますものは安倍川餅(ここでは「あべ川餅」と書く)のみと、潔い。
ほかのあべ川餅屋のように、様々な餅菓子とか和菓子は扱ってない。
「ごめんください」と、奥に声をかけると人の気配がして、横の小窓からご主人が顔を出した。
「いらっしぃませ。今日はどう致しましょう」。
60代のご主人がたずねる。お客は個数を言うだけである。
注文すると奥様が出ていらして、小窓奥にある木箱を開け、餅を伸し、切って、隣のすり鉢状陶器に入った黒蜜液に投入する。
ご主人はその横で、家紋入り塗りの重箱にきな粉を入れて、黒蜜に浸かった餅に、きな粉を木べらでまぶす。
そして箸でパックに入れて紙で包み完成となる。
なんと注文されてから作る、出来立てなのであった。
餅菓子及び餅は出来立てに限る。
時間と共に水分が抜け、柔らかさなどが失われていくからである。
だが現代では、こうして幽門ごとに作っていっては効率が悪すぎるので、作り置きをパックに詰めて売る。
しかしここは、餅菓子の原理原則に従い、昔ながらの作り立てを守っている。出来立ての
あべ川餅をひとつまんで口に入れて、驚いた。
柔らかい。なんとも柔らかい。歯が抵抗もなく、ふんわりと包み込まれる。
ふわふわの羽毛布団に体が沈んでいく感覚がある。
きな粉の甘い香りと黒蜜のコクのある甘さが広がって、その中から餅の穏やかな甘さが現れる。餅は、極限の柔らかさを持ちながらも、なぜかコシがある。
他のあべ川餅屋は、ここより少し固いが、噛む回数は30回ほどである。だがここは、70回ほど噛んで、ようやく消えていった。
噛む回数が多い分、もち米本来の甘みも感じ取ることができる。
餅のつき方も違うのだろう。だが何より、作りたてが生んだ、おいしさなのである。
だから送ることはできない。
ここに来ないと、味わうことは叶わない。7ケでたった300円なれど、このために福井に来てもいい。
食べ終わって思う。これは何個でも食べられるぞ。
しつこさが微塵もなく、軽やかでありながら、後を引く。
こんなあべ川餅は、初めてである。
創業して180年、初代が幕末に、蝋燭屋から転職して始めた店は、現在6代目だという。という。
蝋燭屋の金さんが始めたから、屋号は蝋金。
幕末からあべ川一筋で、毎朝餅をつき、あべ川餅だけを売る。
それが、餅文化が深く根付いたか福井県民たちに、未だに愛されている。おりしも常連客の一人が「12時に作って」と、千円札を一枚置いていった。一人で二十四個も食べられるのだろうか。
300円で、これほど幸福感を含んだ菓子はないと思う。このあべ川餅を食べて思った。
あべ川餅とは、単に餅をきな粉と黒蜜にまぶしただけのお菓子ではない。
優しい甘みの中で、餅とたわむれる菓子なのである。
お店の場所はこちら
蝋金餅店
〒918-8002
福井県福井市左内町9-27
TEL:0776-35-3041
(株)味の手帖 取締役編集顧問 タベアルキスト。年間700軒ほど国内外を問わず外食し、雑誌、テレビ、ラジオなどで食情報を発信。そのほか虎ノ門横丁プロデュース、食文化講師など実施。日本ガストロノミー協会副会長、日本食文化会議理事。最新刊は「どんな肉でもうまくする。サカエヤ新保吉伸の真実」世界文化社刊。
7年前に小浜地区の仕事を通じて福井の食材の豊かさに惚れこみ、今回の福井各地の美味しいを探す旅のきっかけとなった。