「紫式部」が唯一都を離れて過ごした場所、越前市ゆかりの地をご紹介!
この記事では大河ドラマを見て興味を持った方や紫式部ファン必見の紫式部ゆかりの地をご紹介します。
5月26日(日)放送の第21回「旅立ち」では越前国の国司を任命された父為時はまひろとともに越前国へと下向し、物語の舞台は越前へ!
現在の福井県敦賀市にあったとされる「松原客館」や現在の越前市にあったとされる「越前国府」が物語に登場します。
【期間限定】しきぶきぶんミュージアム ~光る君へ 越前 大河ドラマ館~(令和6年12月30日(月)まで)
NHK大河ドラマ「光る君へ」の放送に合わせ、武生中央公園内に大河ドラマ館がオープンしました。
衣装や小道具、限定映像などを見ることができる「しきぶきぶんミュージアム~光る君へ 越前 大河ドラマ館~」。
番組で使用された衣装が展示されていて、その中でも羽織ものはとても煌びやかで目を引かれます。
ドラマの舞台裏を紹介するコーナーがあったり、父・藤原為時の居室を模したスポットやキャストの等身大パネルと一緒に撮影ができるフォトスポットも!
ここでしか見られない独自映像やキャストの直筆サインも見どころのひとつですよ。
ほかにも紫式部が暮らした越前の文化や歴史を紹介する歴史展示、お土産やグッズを購入いただける物品販売所として”光る越前SHOP”があります。
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ふく旅ライターの記事も公開中!「NHK大河ドラマ【光る君へ】2月23日オープン「しきぶきぶんミュージアム」をご紹介します」
NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公 紫式部が生涯でただ一度、都を離れて暮らした福井県越前市。2024年2月23日(金・祝)に紫式部の世界が楽しめる「しきぶきぶんミュージアム」が武生中央公園にある屋内催事場に誕生します。
「しきぶきぶんミュージアム」には、衣装や限定映像などを見ることができる「光る君へ 越前 大河ドラマ館」、紫式部が暮らした越前の文化や歴史を紹介する「越前歴史展示」、お土産品やグッズが購入できる「光る越前SHOP」が設置されています。
今、注目を集めるスポットへ一足早く行ってきました!
大河ドラマ「光る君へ」で主人公・紫式部(まひろ)役を演じた、吉高由里子さんからのメッセージ
紫式部と越前国府の資料館「紫ゆかりの館」
日本を代表する女流作家・紫式部と、紫式部が青春時代を過ごした国府のある越前武生の資料館。紫式部が越前で過ごした日々や「源氏物語」を著すまでの心模様を、絵巻物風映像や展示で感じながら楽しく学べる場所です。京から越前へ向かう父・藤原為時と紫式部の下向(げこう)行列や唐衣裳(からぎぬも)装束が越前和紙人形で可愛らしく再現されています。
タッチパネルで答える姫君タイプ診断もあるので、立ち寄った際はぜひお試しください!
「紫式部公園」四季折々の景色と平安時代の庭園を再現した全国で唯一の寝殿造庭
紫式部をしのんで造られた「紫式部公園」。この記事のトップ画像になっている金色に輝く紫式部像はこの公園にあります。
聡明で美しい面影がうかがえる紫式部像は、都の方を向いて立っており、その視線の先には越前を代表する日野山があります。
平安時代の貴族の住居である「寝殿造」を模した3,000坪の広大な敷地に、池や築山とともに武生盆地を囲む山々が自然の美しさを魅せてくれますよ。
紙の神様・川上御前が祀られている「岡太神社・大瀧神社」
福井の伝統工芸品のひとつ、越前和紙。
約1,500年前に一人の美しい女性が現れて、和紙の漉き方を越前の村人たちに教えました。
その女性は「川上御前(かわかみごぜん)」と呼んで崇められ、万物を生み出し育てる水の神様、子育ての神様と信仰されたそう。
この川上御前がいたからこそ、越前に和紙漉きが定着して伝統工芸として今でも伝えられています。
川上御前が祀られている「岡太(おかもと)神社」と、その御神威を受けて紙の発展に寄与した「大瀧神社」は屋根の作りがとても複雑。
この入母屋造りに千鳥破風に唐破風、そしてまた入母屋に唐破風が重なっていく屋根は、全国でも類を見ない世界的にも注目の建築物です。
紫式部も和歌を詠むときに越前で作られた和紙を使って詠んでいたのではないでしょうか。
そして日本で初めて「お札(おさつ)」を作ったのが福井藩、また現在のお札に用いられている「黒透かし」の技術も越前和紙職人が開発したものです。
越前の伝統工芸にも是非触れてみてください。
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岡本神社・大瀧神社に行くならはぴバスが便利!ふく旅ライターの乗車レポート
北陸新幹線の福井・敦賀間が開業した3月16日より福井県内の貸切バス事業者が着地型観光バスツアーを運行しています。県民モニターで(越前たけふ駅発「和紙の里・製紙所見学と府中御堂拝観」コース)に乗車して楽しんだリポートです。
日本三大木造大鳥居のある越前一の宮「氣比神宮」
仲哀天皇ほか六座を祀り、「越前一の宮」「北陸道の総鎮守」とも称される古社です。
佐渡ヶ島から漂着したムロで建立したと伝わる大鳥居は、木造としては、「広島・厳島神社」「奈良・春日大社」と並ぶ「日本三大木造大鳥居」のひとつで、国の重要文化財に指定されています。
「平家物語」巻第七「篠原合戦」には木曾義仲が気比の社に領地を寄進したことが書かれています。
「延喜式」によると氣比神宮は松原客館の管理、監督を任されていました。松原客館などでは、大陸からの使者をもてなす際に、漢詩の贈答が行われており、学者である藤原為時が越前守に任じられた理由といわれている。また、菅原道真も氣比神宮を訪れ、漢詩を残しています。
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ふく旅ライターの記事も公開中!「敦賀の北陸道総鎮守!「氣比神宮」を参拝してきました【徒歩1分のお茶とお土産情報あり】」
敦賀にある北陸道総鎮守であり越前国の一乃宮でもある氣比神宮と徒歩1分で行けるお茶屋さんとお土産屋さんをご紹介します。
日本三大松原にも数えられる「気比の松原」
敦賀湾最奥部に広がる気比の松原は、白砂青松の景勝地で、日本三大松原のひとつに数えられ、国の名勝にも指定されています。かつては氣比神宮の神苑でしたが、織田信長によって没収され、江戸期には小浜藩の藩有林となっていました。アカマツとクロマツが入り混じる風景は約40万平方メートルにも及び、季節ごとに変わる美しさで、訪れる人の目を楽しませてくれます。
古くは氣比神宮の神苑でした。松原客館(客駅)が置かれていた場所はわかっていませんが、この近くに置かれていたという説もあります。