福井×明智光秀
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光秀の生き様 福井にたどる
織田信長配下の武将として戦国時代に活躍し、かの有名な「本能寺の変」を起こした人物として日本中に広くその名が知られている明智光秀。その半生は謎も多く諸説ある中で、美濃国(岐阜県)を追われ、辿り着いた越前(福井県)にて約10年過ごしたと云われています。織田信長に仕官し、知勇に優れた武将として華やかな表舞台にたつまでの10余年、再起を願い過ごした場所として、また、織田信長に仕えた後にも越前朝倉氏討伐に関わるなど、福井県には数々のゆかりの地が残されています。
明智光秀の人生を語る上で外せない重要スポット
明智軍記に登場するスポットも
- 一乗谷朝倉氏遺跡
- 一乗谷朝倉氏遺跡は、朝倉氏五代が戦国時代に103年間にわたって越前の国を支配していた城下町の跡。この朝倉氏最後の当主である義景に、明智光秀は織田信長に仕える以前に仕えていたと伝えられています。遺跡は武家屋敷・寺院・職人たちの近くのグルメスポットや道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、往時の様子をうかがうことができます。遺跡が国特別史跡、主要な4庭園が国特別名勝、遺跡出土品が国重要文化財に指定されています。
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- 明智神社
- 明智光秀が朝倉氏に身を寄せていた時の住居跡。柴田勝家による天正3年(1575年)の一向一揆討伐の際に、光秀は住民を守るため勝家らに安堵状を出させたと伝えられています。恩人である光秀を人々は現在でも「あけっつぁま」と慕い、この神社を代々守り続けてきました。年に一度、光秀の命日である6月13日のみ御開帳が行われ、本尊である光秀の木彫りの坐像を見ることができます。明智光秀の娘・明智玉(細川ガラシャ)の生誕地とも伝わります。
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- 称念寺
- 称念寺は長崎道場と呼ばれ、鎌倉時代に一遍上人が開いた時宗の寺。明智光秀が斎藤義龍の大軍に敗れ、明智城が滅ぼされた後にその門前に身を寄せていたと伝えられています。称念寺門前では、「明智の寺子屋」や妻・熈子が光秀のために自慢の黒髪を売って連歌会の準備をした「黒髪伝説」が残っており、この伝承に感激した松尾芭蕉が詠んだ句が碑となって残っています。
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- 金ヶ崎城址・金崎宮
- 小高い山にあり眺めも良く、現在は桜の名所としても知られています。戦国時代には「織田軍」が朝倉攻めの際に「朝倉軍」と対峙した場所としても有名で、浅井長政の裏切りによって起きた、戦国史上有名な信長の撤退戦「金ヶ崎の退き口」の舞台です。この時しんがりを務めたのが明智光秀・木下藤吉郎(豊臣秀吉)らであり、彼らの活躍により信長は無事に生き延びることができたと言われています。
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福井県全市町にある!その他の明智光秀・戦国ゆかりの地
福井県ゆかりの戦国キャラクター
- 福井県観光連盟と、デザイン専門学校等を運営する「滋慶学園グループ」が協力し、福井県ゆかりの戦国キャラクターを制作!滋慶学園グループに通う学生が参加し、それぞれのキャラクター部門で最優秀賞に選ばれた学生の作品を採用しました。(2019年度事業)
- 戦国キャラクターは商用利用可能です。詳しくは下記「使用要綱」をご確認ください。
- 朝倉義景、織田信長、明智光秀、お市の方、柴田勝家