福井に残る源平ゆかりの地
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は平安時代末期~鎌倉時代初期の源平合戦を中心に描かれます。福井県内には源平それぞれのゆかりの場所が多数残ります。源平の伝承が残る観光スポットを中心にご紹介いたします。
※それぞれの伝承について諸説あります。歴史的事実として断定するものではありません。
※源平に関する伝承は他にも多数あります。全てを紹介するものではありません。
平氏と越前・若狭
福井はかつて平家の知行国だった!
平正盛(平清盛の祖父)は無名の隠岐国守でしたが、最高権力者の白河院と関係を築き、はるかに温国である若狭国守に抜擢されました。ここに平氏と越前・若狭との関係がはじまります。正盛は若狭守を重任し、後継者である平忠盛(清盛の父)も1120年に越前守となりました。保元・平治の乱を経て平氏の台頭が進み、越前を平重盛(清盛の息子)家、若狭を平経盛(清盛の異母弟)家と、越前・若狭ともに平家が独占的に保持しました。
しかしその後、後白河法皇と平氏の対立が表面化。平重盛(清盛の息子)の知行国である越前を法皇が取り上げたこと等から、平清盛はクーデターを起こし、反平氏の貴族を大量に処分。越前国は平家一門が取り戻します。しかし世間では平氏への不満がたまり、1180年には以仁王が平氏追討を決意したことにより反乱は全国へと広がり、平家は滅亡へと進んで行きます。
※平家:一般的に平氏の中でも平清盛の一族が「平家」と呼ばれています。
※知行国の制度:皇族や上級貴族,寺社等に一国の支配権を与え、その国からの収益を得られるようにした制度。
こんなにある!源平ゆかりの地マップ
エリアを確認して巡ってみよう!
観光スポットに登録されている「源平ゆかりの地」をマップで表示します。
木曾義仲・斎藤実盛ゆかりの地
「平家物語」の「火打合戦」や「実盛最期」等に登場
源平合戦の中でも重要な人物である木曾義仲(源義仲)は源頼朝・義経の従兄弟にあたります。「源平盛衰記」や「平家物語」でも描かれている「火打合戦」の舞台である福井には、ゆかりの地がいくつも存在します。また「平家物語」の「実盛最期」に登場する、木曾義仲の武将 手塚光盛に討たれた斎藤実盛は越前(福井)出身とされ、居館跡と伝わる場所等があります。
- 燧ヶ城跡(火打城跡)
- 今庄宿の背後にある通称愛宕山に平安時代末期頃に築かれた標高267mの山城です。今庄駅から近く、ハイキングコースにもなっています。源平…
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- 湯尾峠
- 湯尾峠一帯は、古くからの交通の要所で、源平合戦、南北朝時代の合戦、一向一揆の戦いなど度々戦場となった場所でもあります。天正6年(1…
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- 白山平泉寺 / 平泉寺白山神社
- 境内は一面に緑の美しい苔で覆われ「苔宮」「苔寺」とも呼ばれますが、現在は明治の神仏分離令により寺号を廃止し、白山神社となっていま…
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- 大塩八幡宮
- 仁和3年(887)、越前に流された中納言紀友仲が無実の罪を晴らすために、この地で祈願を続けました。まもなく許されて都に帰ることができ、…
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- 金ヶ崎城跡
- 敦賀湾を一望する小高い山にある金ヶ崎城跡。様々な時代の逸話がありますが、 平安時代末期、治承・寿永の乱(源平合戦)の時代に、平通盛…
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- 氣比神宮
- 仲哀天皇ほか六座を祀り、「越前一の宮」「北陸道総鎮守」とも称される古社です。佐渡ヶ島から漂着したムロで建立したと伝わる大鳥居は、…
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- 実盛堂(実盛社)
- 長畝集落にある斎藤実盛を祀った堂。堂内には僧衣の実盛と甲冑姿の実盛の木像(江戸時代末期)、十一面観音が安置されています。斎藤実盛の…
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- 斎藤実十郎家のひいらぎ
- 源平合戦で源氏方の木曾義仲軍と戦った平家方の武将 斎藤別当実盛が、戦いの途中に久しぶりに故郷に帰った際、実家の庭先に植えたものと…
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源義経ゆかりの地
源義経の軍記「義経記」にも福井が登場
源義経の軍記物である「義経記」にも福井が登場します。特に平泉寺は「平泉寺御見物の事」という項において「あの有名な平泉寺を拝みたい」と弁慶と共に立ち寄った場面が描かれています。
- 白山平泉寺 / 平泉寺白山神社
- 境内は一面に緑の美しい苔で覆われ「苔宮」「苔寺」とも呼ばれますが、現在は明治の神仏分離令により寺号を廃止し、白山神社となっていま…
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- 辻観音堂
- 源義経の軍記物「義経記」には義経と弁慶は東北に逃れる際に平泉寺に立ち寄ったことが描かれています。辻観音堂は義経が滞在したと場所と…
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- 氣比神宮
- 仲哀天皇ほか六座を祀り、「越前一の宮」「北陸道総鎮守」とも称される古社です。佐渡ヶ島から漂着したムロで建立したと伝わる大鳥居は、…
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- 木ノ芽峠
- 福井県を嶺北と嶺南に分ける地です。1,200年の間、越前の玄関口としての番所があり、江戸時代からは前川家が茶屋番や山回役の任に当たり…
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「平家物語」登場人物ゆかりの地
県内各地に様々な伝説が残ります
木曾義仲、源義経以外にも、福井県内には平家物語に登場する多くの人物ゆかりの伝承が残ります。
- 祇王祇女の屋敷跡
- 西藤島小学校の隣に、祇王とその妹の祇女が住んでいたと伝わる場所があります。祇王祇女は平家物語にも登場する白拍子(男装で歌い踊る遊…
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- 千古の家(坪川家住宅)
- 江戸時代初期に建てられた福井県内最古の茅葺民家。正面が入母屋造り、背面が寄棟造りの茅葺屋根で、外回りは杉皮張りの壁に障子の白が清…
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- 仏御前の滝
- 「日本百名山」荒島岳から流れ出る高さ100mに及ぶ三段の滝。滝の名は平清盛に愛され、舞の名手として、平家物語にも登場する「仏御前」が…
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- 越前二の宮 劔神社(剣神社)
- 劔神社は1161年に平清盛によって焼かれてしまいましたが、1164年に清盛の嫡男である平重盛が社殿を復興し、境内の小松建勲神社には平重盛…
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- 幸若音曲発祥の地記念碑
- 幸若音曲(幸若舞)発祥の地の記念碑は、越前町社会福祉センター朝寿殿(越前町西田中)の正面玄関横にあります。幸若舞は、越前町西田中…
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- 蝉丸の墓
- 「これやこの ゆくもかえるも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の一首で有名な蝉丸の話が伝わっています。諸国を流浪の果て、越前に来て…
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- 水生寺
- 水生寺の本尊として、厨子内に安置される十一面観音菩薩立像は像高99cm、寄木造の像です。面長で目鼻が大きく印象的な相好や装飾的な頭髪…
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- 永源寺
- 二条院讃岐の菩提寺であり、境内には百人一首に選ばれている「我が袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし」の歌碑…
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- 矢代観音堂 福寿寺
- 福寿寺本堂に安置の聖観音菩薩は、手杵祭の王女の姿を写したものと伝え、またこの観音菩薩は唐から伝来したものであるともいわれてきた。…
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平家落人の里
全国200か所とも言われる「平家落人の里」は福井県内にも多数
※落人の里は山深い場所であることが多いため、訪れる際は十分にお気を付けください。
源平合戦における「倶利伽羅峠の戦い」や「壇の浦の戦い」等にて敗走した平氏の武将が、隠れ住んだ里と伝わる場所が数多く残ります。
- 天満神社
- 平清盛の孫・平維盛は平家方の大将として戦い、今庄の燧ヶ城を舞台とした火打合戦で大勝しますが、倶利伽羅峠の戦いにて木曾義仲に敗れま…
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- 平家平
- 「平家平」は真名川上流域の巣原地区(市街地から約40km)にあり、源平合戦の「倶利伽羅峠の戦い(もしくは壇ノ浦の戦い)」で敗走した武将が…
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- 真名峡・麻那姫湖
- 大野市の真名川上流域、五条方発電所から約1km上流から真名川ダム付近にかけて発達する深い峡谷が真名峡。さらに上流には飢えに苦しむ村…
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- 梨子ヶ平千枚田水仙園(越前水仙群生地)
- かつて源平合戦にて戦いに敗れた平家の落人が、隠れ家として七ツの平(梨子ヶ平・大平(おおじゃら)・小羽ケ平(おばんじゃら)・雪ケ平(ゆき…
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- 萩野小学校笈松分校跡
- 萩野小学校の笈松分校跡は福井県越前町の笈松地区にあった学校の旧校舎です。笈松地区は、ふもとから車で15分ほど登った山中の谷間にある…
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- 小松重盛塚
- 旧名田庄村納田終(小松地区)の南川砂防ダム側にある小松重盛塚。小松重盛とは平清盛の長男のことです。名田庄の集落は平重盛ゆかりの人物…
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執権 北条時頼が伝えた水海の田楽能舞
北条時頼は「鎌倉殿の13人」の主人公 北条義時の曾孫
福井県池田町に鎌倉時代から伝わるという「水海の田楽能舞」。鎌倉幕府の執権であった北条時頼(「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時の曾孫)が諸国行脚の際、雪で立ち往生し、水海で越冬した際に村人たちが「田楽」を舞って慰めたところ、時頼が返礼として「能舞」を教えたのが始まりと伝えられています。毎年2月15日、ぴんと張りつめた空気の中、古式に従って田楽四番と能楽五番が厳かに奉納されます。観客を幽玄の世界へと誘う、池田町が誇る伝統行事です。
平家伝説の赤カブ!?「河内赤かぶら」
鮮やかな赤色は平家の象徴
福井県の「河内赤かぶら(河内赤かぶ)」は、850年以上前から福井市美山地域の河内集落でつくられている伝統野菜です。平家の落人がこの村に住み着き、平家の象徴である赤色のかぶらを後世に残したい思いから赤かぶらの種と栽培技術を村人に伝えたという伝説が残っています。山奥の集落のため、元の古い品種が交雑することなく残されてきたともいわれています。福井県では百年以上続く伝統野菜として「福井百歳やさい」に認定されています。(写真引用:福井県農林総合事務所ホームページ)