来迎寺
時宗の寺院。元中4年(1387)、国阿上人により開創。16世紀末には敦賀城主、大谷吉継の帰依を受け、戦の前に大谷吉継が預けたとされる加飾腰高障子が残ります。この腰高障子は趣向、意匠ともに優れ、福井県指定文化財に指定されています。また、来迎寺の山門は敦賀城の中門を移築されたものとされます。
この来迎寺の西側に位置する来迎寺野と呼ばれる場所で、元治2年(1865)2月4日、15日、19日、23日と相次いで、武田耕雲斎以下353名が斬首されています。首切りの太刀役に福井、小浜、彦根の各藩が申し付けられますが、福井藩は松平春嶽の配慮から「浪士の賊徒扱いを好まず」と太刀役を断り、大半が帰国しました。
基本情報
- 住所
- 福井県敦賀市松島町2-5−32