福井駅周辺で“30分観光”~福井城の歴史~
ふくいドットコム編集部
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街は東京ドーム約30個分の広さ
福井県での観光で、泊まる場所として選ばれるのが「福井駅周辺」。移動手段として選ばれているのが「北陸新幹線」。その中心である福井駅は、ちょっとした時間が空くときもあるかもしれません。お土産を選んだり、カフェでまったりもいいですが、ちょっとだけ、福井の歴史を知るまちあるきをしてみませんか? 今回は駅から意外と近い「福井城」です。江戸時代から続いた福井藩は、徳川家康の次男・結城秀康を初代城主として、最大68万石の大きな藩でした。
福井城址は福井駅西口を降りて徒歩3分の場所にあります。福井市民には当たり前の風景ですが、このくらい距離が近いのは全国でも珍しい部類に入るとか。お城は城下町があって、鉄道はずっと後だから、まだ開発されていない場所を選ぶものですが、そうだとしても近すぎる……。何故かというと、福井駅自体がかつての福井城の中にあるから!
当時の城下町は、北国街道が通っていたこともあり、お城の西側に集中していました。では東側はというと、武家屋敷が並んでいたんですね。でも、江戸時代が終わり、明治の世になってその武家たちもお殿様と一緒に江戸(もう東京)に戻ってしまうわけです。当時の福井城は最大規模で東京ドーム約30個分の広さ。城下町の広さの倍以上もあったわけです。仕方がないので畑に転用しますが、鉄道が来る、となると、便利になるし商売にもつながると城下町の人たちは思うわけです。
では、どこに作ろうか、となるのですが、「やっぱり城下町に近い方がいい」と、現在のフェニックス通りあたりを考えます。しかし当時の列車とは蒸気機関車。煙はイヤだと別の場所を探します。近くて煙の影響も少なくて、まだ空いている場所は、と探した際、武家屋敷もなくなり畑に変わっていた、お城の東側をみんなで選択するわけです。福井藩主だった松平家のお殿様にもお願いに行き、了承をもらい、そうしてお城の敷地だった場所はめでたく福井駅となりました。
人と駅をはばんでいたものとは
が! 実はここに大きな問題があったのです。城下町からは東へ一直線につないで約700mの場所。とても便利なはずなのに大きな“障害”が立ちふさがっていたのです。その障害とは……、お堀! 当時「百閒堀(ひゃっけんぼり)」と呼ばれた幅が最大50m強もあるお堀が城下町と駅の間にあったのです。そのくらい広いお堀が何故あったのかというと、敵に攻められないようにというのもありました。
福井藩は初代藩主が徳川家康公の次男・結城秀康公でしたので「親藩」にあたり、江戸時代初頭などはまだ戦国時代のように争いの火種がないわけではありませんでした。福井藩のある福井平野は戦における重要拠点でもあったので、戦国時代には激戦地だったのです。だから福井城の建造が始まった時代はまだまだ予断を許さず、その結果大きなお堀が作られました。
当時の福井城はすべてのお堀の水は循環されて流れていました。南は自然のお堀・足羽川(あすわがわ)で、他はお城から30㎞ほど離れた川の上流からつないで流してきました。流してきた水は広大なお堀を循環し、そして足羽川へと流れでるようになっていたのですが、江戸時代が終わり、お城は役割を終え、同時に広大なお堀も必要とされなくなりました。
新しい時代だから街も新しくしよう、市民たちは思い、経済発展のためにお堀を埋め立て始めます。そうすると水の循環もなくなり、逆に水質が悪くなっていきます。そうした問題もあり、「百閒堀」はきれいに埋め尽くされ、街が作られていきました。現在、その痕跡を、お城の規模感を感じられるか、と聞かれたら「Yes!」なのです。街の再開発で粋な部分、それが「百閒堀跡」なのです。
現在の「百閒堀」から想像してみる
エキマエの再開発ビル「FUKUMACHI BLOCK」の周囲を歩いてみてください。一直線なのに何故か斜めに切られて、かつ別の素材で敷き詰められた部分があります。それも南北両方に。これです。これが「百閒堀」の跡なのです。両端に立ってみてどのくらい広かったかを確認してみてください。そしてそれが現在の「片町」と呼ばれる繁華街から駅(最初の福井駅は現在の駅より少し南側にありました)の間にあったということを想像してみてください。「橋掛けてほしいくらいやわ」と思いたくなります。
福井駅から福井城までは徒歩5分。その間にも「百閒堀跡」を見ることができます。不自然に車道に斜めにラインが引かれている部分、それがかつての百閒堀です。このラインはビルの反対側に続き、そして駅前大通りを挟んだ「FUKUMACHI BLOCK」にまで続いています。この近辺には昔の地図と今の地図を比較した展示もされているので、ちょっとした歴史散歩を楽しめます。